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「宮地家謝恩記念碑」のこと
平成24年4月
宮地重遠

私はこの程、高知県幡多郡黒潮町の海を見下ろすお遍路道の丘の上に、この地に対する我が宮地家代々の謝恩の思いを表わす記念碑を建立致しました。
宮地家は代々この地で神主をしておりましたが、曽祖父の適(かのう)は、貧しい家計を支えるため小学校を中退、しかしその後は独学で医者になったという、日本ではいまだに唯の二例のみ・・・という立志伝中の人物です。
 私自身は中学までの間、当時は隣町の愛媛県八幡浜で開業医となっていたこの曽祖父に育てられました。その縁で小学校時代には、度々、黒潮町を訪れておりました。
 昨年、私が久し振りにこの地を訪れた折り、私の当地への謝恩の念をお知りになった県会議員金子氏から賜ったご協力の申し出にも勇気づけられ、私の記念碑建立への思いは更にまた後押しされることともなり、計画の実現に向けて奔走して下さった金子議員はじめ多くの地元の方々の献身的なご協力のもと、宮地家謝恩記念碑の建立は、遂に実現の運びとなったのであります。
 除幕式当日は、地元の方々も多数駆けつけて下さり、謝恩記念碑の丘は、この様な場での当地の習わしと云う「お祝いの餅撒き」に沸きかえりました。
幸い天候にも恵まれ、眼下には記念碑の表題に書かれている“観海 観波”にふさわしい紺碧の海が輝き、家族共々、多くの方々に囲まれながら、暫し身に余る喜びと感激に浸った次第であります。

県会議員金子氏と地元の方々
ご協力してくださった地元方々
先生のご家族と地元の方々
ご家族
除幕式
記念碑

謝恩之碑

当家は宮地八太夫藤原重知を始祖として代々九州鍋島藩に仕え、第十代目が神主として当地に移り住んだと伝え聞きます。
私の祖父、第十一代宮地適はこの黒潮町に生まれ、貧困により尋常小学校を4年で中退、独学で医師の免許を取得、愛媛で開業医となりました。

私は4歳から小学校卒業迄をこの祖父の下で育ちましたが、当時私を伴い黒潮町に足を運んではこの黒潮の海を眺め、自分を育んだ故郷の海への感慨に耽る祖父の姿を、今も鮮やかに思い出します。

かくして多年に亘る一族の当地に対する愛着と感謝の証しとして、この謝恩記念碑の建立を発意した次第であります。
建立にあたり御尽力を賜った方々に、深く感謝申し上げます。

平成 二十四 年 初春
宮地家第十三代 宮地重遠
(東京大学名誉教授 理学博士)

“観海 観波”
祖父より教えられた孟子の言葉から、
「大海を見て、その流れを知るには、波に照り返す太陽や月の光をよく見るとよい。水の動きは波の谷間が満たされないと前に進まない。我々も少しずつ目標を区切りながら前に進むべきである」という一節を踏まえたものです。